旅するデュオhuenica(フエニカ)のオルタナティヴな音楽とライフスタイル
huenica(フエニカ)に出会ったのは2013年4月。Charisma.comへのコメントを頼まれ、「ライヴ見とかなきゃ」と思って足を運んだイベントでトリを務めたふたりの音楽にブッ飛んだ。榎本聖貴(ギター)と伊藤サチコ(キーボードほか)がハモる幻想的な物語が、アコースティック楽器の音色とあいまって築き上げた唯一無二の世界。商業的でない動機で磨き上げられた、どこまでも純粋な音楽だと思った。それから3年。1年の半分はツアーしているというふたりの旅先での出会いから生まれた2年ぶりの2ndアルバム『田の人と旅の人』は、傑作『あざやかなとうめい』とはまた違った手触りを持つ素晴らしい作品だ。アルバム完成直後のふたりのナマの声をお届けしよう。
●ふたりの頭の中にあった音楽
──初めて見たのは2013年の4月なんですけど、結成はその前年なんですね。
伊藤 当時はまだhuenicaでやり始めたばっかりで、実演で再現するのに必死だったころですね。
榎本 曲を作りながらやってた時期です。
──後から調べたらおふたりとも別々にキャリアがあって「やっぱり……ただもんじゃないとは思ってた」みたいな(笑)。もともと知り合いではあったんですよね。
伊藤 18歳のときから。
榎本 まだふたりともデビューする前に音楽の専門学校で出会って。大っぴらには言ってないんですけど、それからずっと付き合ってて、一緒に住んでたんです。音楽活動はそれぞれ別々にやってました。
伊藤 huenicaをやり始めるまではお互いまったくノータッチでした。
榎本 いろんな経験をした末に、家族よりも長く一緒にいるふたりの関係性をベースにやるのがいちばんいいんじゃないかって。誰とやっても他人同士だからどこかしらに溝があるじゃないですか。それが普通の人間関係なんだけど、そこから一歩突っ込んだ、いちばん理性のない状態というか。
──ほとんど無意識に音を出し合えるような。
榎本 「これを言ったら関係が終わってしまう」みたいな不安もないから。そういう関係じゃないと、こういう音楽にはならないかもしれないです。
──最初に聴いたとき、余人の立ち入る隙がないくらい精緻に磨き上げられた音楽という印象を受けました。あとアットホームな雰囲気も。で、一昨年のワンマンにお邪魔したんですが、あのときはドラムの方とか入ってましたよね。
伊藤 『あざやかなとうめい』の曲順どおりにやったやつですね。
2014年4月にNomadic Recordsから発表した1stアルバム『あざやかなとうめい』。
派手さはないが極限まで追求された音であることは容易にわかる繊細な世界だ
榎本 やってることの本質はあんまり今も変わってはないんですよ。今のほうがさらにいろんなものが入ってきてるくらいですね。これまでの経験からいっても、やり始めとのズレがいちばんない状態で来てて、たぶんこれからもそうだと思います。内容は濃くなっても、本質は変わらないっていう。
──やりやすさはもちろん大事だけど、音楽的に共鳴し合うものもあったんですか?
榎本 半生一緒にいるんで、どうしようもなく重なってきてる部分があると思います。どっちかが外で吸収してきたものは家にいるとふたりのものになっていく。だからあんまり「こういう音楽やろう」みたいな話もしないし、むしろ前から作ってあった原曲を題材に、ふたりの頭の中にあったイメージを形にしていくようなことから始まりました。聴いたことがないし、世の中にはないけど、自分たちの頭の中では鳴ってる、みたいな音楽をやり出したって感じですね。他人とやるときにはある程度モデルが必要になってきたりして、そういうやり方は難しかったけど、ふたりならやっとできるかなって。
伊藤 バンドでひとつのものを作ってた榎本くんは、ひとりで全部形にすることをやりたいと思ってて、わたしは逆にひとりでしかやったことがないから、誰かと一緒に作るっていうのをやりたかった。それがちょうど重なったんです。
榎本 いちばんいい形なんじゃないかと思ってます。バンドっていう他人の塊でもないし、ひとりの世界でもないし、ふたりなんだけど半分他人とは言えない感じっていう関係が、いちばん崩れないというか。音楽がバッて鳴ると、みんなヴォーカルを見るじゃないですか。そういうのはもうイヤだったんで。鳴り出したら音楽が勝ってほしかった。個人を見に来てもらうようなグループにしたいとも思ってなかったし。
──伊藤さんがかつてそのシーンにいて、今も活動を並行させているシンガーソングライターって、ある意味で個人崇拝的なカルチャーの最右翼ともいえますけど……。
伊藤 そういうのも大好きなんですよ。人間に惚れ込むみたいな。それと家に持って帰ってきたCDにギャップがあるのがイヤなだけで。人間性とか生活感のすべてがCDにもつながってるのが理想なんです。わたしたちがもっと人間力を高めていけば「音楽」と対等なぐらい「人間」に会いに来てもらえるようになるかもしれないし、そうなればうれしいし。人間性には触れないでください、とかは全然思わなくて、それをうまく追加していって、バランスよく魅力的になれれば、もっと広がれるかなと思ってます。
榎本 全部一緒のラインで出てないとイヤだっていう感じですね。
──例えば伊藤さんが描くフライヤーのイラストもそうだし、荒井良二さんが描いたジャケットまで、美意識に統一感がありますね。
榎本 ずっとそれがやりたかったんです。二十歳くらいから音楽で食うっていう世界に入ってきて、「こう伝えていけたらな」みたいなストレスをずっと抱えてきたから。たくさんの人たちのおかげで広がってた部分もあるけど、そこをもっとストレートにやってれば目の前の人にはもっと伝わってたな、とかずっと考えてきたんで、その集大成かもしれないです。宅録に向かったのも同じで、基本的には自分たちのフィルターしか通さないものを出していきたかった。そうしてる以上は絶対ブレないはずなんですよ。僕らが人間として変わっていくにつれてナチュラルに作品も変わっていけばいいだけで。この動きをしていれば本当に自分の頭の中から生まれるものをずっと出していけると思うし、そのやり方をつかんだといえばつかんだんですよね。
伊藤 生きた証みたいな。アルバムはそういうものなのかなと思って。
──我々の一部であると言い切れるってことですかね。
榎本 ステッカー1枚、バッジ1個に関してもブレはなくしたいっていうのは絶対ありますね。だから必然的にサチコのイラストになっていくし、ジャケットも尊敬する良二さんに頼んだし。
伊藤サチコのかわいいイラストをフィーチャーしたフライヤーたち
──自分たちらしさで全体を統一していくのは、難しさもあると思うんですが。
榎本 単純に言うと、もっと人気者になれば楽だなというか。それだけですね。1stのときも、俺らがもうちょっと人気があれば雑誌にも載せてくれてたと思うし。いま俺らが抱えてるストレスはそういうところくらいです。もうちょっと上にいればもっと面白いことできるのにな、っていう。今はその最小限ですよね。例えば今のhuenicaではレーベルは平山(勉)さん、ジャケットは良二さん、エンジニアは葛巻(善郎)さんに頼むと。単純にD.I.Y.だから自分たちだけで、とは全然思ってなくて、広げられるものならいくらでも広げたい。
伊藤 妥協はしたくないもんね。
榎本 これで食べていくって意味ではギリギリの頼める人ですね。もうちょっと人気が出てCDも集客も増えれば、もっと楽しいことができるなって。そうなったときに初めて見た人には、俺らは最初からそういうふうにやってたんだよ、って言えるし。
──その広がりに関してはいかがですか?
榎本 まだまだですね。ハマって来てくれる人も増えてきたけど、例えば俺らと関係ないところから情報をつかんで来てくれる人っていうのはまだ少ないです。でも一本ライヴ入れたら絶対に誰かはCDを買ってくれるっていう自信はあるんです。目の前でやれば絶対に伝わると思いますけど、自分たち以外の広がりがまだ足りない。
伊藤 個人的にやってくれる人はいるんですよ。ライヴハウスの人が転換中に流してくれたりとか。それで音を気に入って来ましたってお客さんもいます。
──今のところ「知る人ぞ知る」ですよね。
榎本 やっぱりそこから抜けないと……他の仕事をしながら楽しくやりたいのではなく、突っ込んでるクォリティと労力に見合う成果はほしいんです。
──現状、音楽一本で回せてはいますか?
榎本 まぁなんとか……でも本当にギリギリで、それもあって東京から離れたっていうのはあります。レーベルも地方だし、月に半分もいなくて家でレコーディングもするのに、なんでこんな狭いマンションにこんな高い家賃払ってるんだ、って思ってたから。
伊藤 でも曲を作る時間は圧倒的に増えるんで、その違いは絶対に演奏と音源に出ると信じてます。
──今は会社勤めしながら音楽を作ってる人とかも多いけど、そういうのとは違う?
伊藤 いや、そこに線引きはしてないです。
榎本 それはその人の選択だと思う。
伊藤 自分たちがものを作るために我慢する時間がイヤだったから、それだけで回せるように工夫しようって、全国をグルグル回り出したりして。動けば動くほど増えるし、休めば休むほど減る。わかりやすいから楽しいですよ(笑)。
榎本 どこかの事務所と契約してなきゃ食えない、みたいな昔のやり方は違うってことを証明したくて、無理やりやってる部分もあります。「やれるじゃん」って言いたいから。
──ひとつのライフスタイルの提案でもあると。
榎本 ライヴでも話すんですけど、商店街にパン屋もあれば乾物屋もあって布団屋もあって、その並びに音楽屋みたいな感じであってもいいと思うんです。ふだんあんまりいないけど音楽屋さん行ってみるか、みたいな。そういう国になってほしいなって思ってやってるところもあります。どメジャーの人もいればどインディーでちゃんとやれてる人もいて、その二極化がもっと進んでほしい。こっちはこっちの世界で絶対に何か生まれてくるし、ということはその中でふるい落とされていく人もいる。もっとお客さんがクォリティをシビアに判断してくれたら面白いんじゃないかって。そしたらやれてる人はちゃんとやれるようになるし。自分の生んだもので食っていくのは商店街のパン屋とかと一緒だから。
──旧来の音楽業界の枠に囚われない音楽家のあり方みたいな?
榎本 そうですね。でも、商店街の店のひとつとしてあるには、自分たちの活動がちゃんとしてないといけないから、そっちも同時にちゃんと進めたいなって思ってるんですけど。
──理想かもしれないけど、長い目で見ると、いいものを作っていればわかる人には必ずわかると思います。
伊藤 ほんとそれです。昔からまわりの大人たちによく言われたセリフ。それをバカ正直にずっと守り続けてるんです(笑)。それを言ってた人たちともだんだん距離ができちゃったけど。
榎本 そういう人たちと距離ができちゃうことにも違和感があるんですよ。何も生み出してない人たちが食えてて、生み出してる人たちはどんどん先細っていく。どっちにも悪いところがあるんだけど、だったら自分たちで……って思いました。というか、自分たちから。自分たち「で」やるんじゃなくて、自分たち「から」広げていきたい。
──例えば大手のレーベルが「うちでやんないか」って言ってきたら、話をする用意はあると?
榎本 全然あるっすね。
伊藤 言ってきてもらえるように、クォリティを上げるよう勉強しながらやってるつもりです。
榎本 今D.I.Y.を標榜してる人って多いと思うけど、そういう人たちとは全然違って、お金をかけないで全部自分でやるのがD.I.Y.じゃないって思ってるんです。
伊藤 音楽を作るプロフェッショナルでいられれば、やり方は何でもいい。まずはそこに集中できる形を探してる感じです。憧れのプロフェッショナルな人たちはたくさんいるから、もっともっと学びたいし。
榎本 今は制作期間とかもめちゃくちゃ長いけど、本当だったらものすごいお金がかかるところを、これまでに手に入れたつながりとか知識とか経験で、昔の100分の1ぐらいの値段で同じことができてる気はするんです。時代が変わったのもあるし。『田の人と旅の人』でやってることを昔の感覚でやったら、ものすごい制作費が必要だったと思うから。愛媛県の道後のスタジオで録ったんですけど、オーナーの方とたまたま知り合って「使いなよ」って言ってくれたところから始まってるんですよ。それが棚からぼた餅みたいなことじゃなくて、物々交換みたいな経済活動では自然なことだったんです。すべてを時間とお金のやりとりで処理するより、そのほうが面白いじゃないですか。そしたら俺らもじゃあ何かいっぱい返してあげなきゃって思うし。その面白さをつかんだって意味で、20代のころの自分たちに「うらやましいでしょ」って言いたい気持ちはあります。
●最高のレコーディング環境を得て
──さっき新作には時間がかかったって仰っていましたが、どれくらい?
榎本 1月に始めて、ほんと一昨日くらいまでやってたから、丸4カ月くらいになりますね。
──道後のスタジオについて教えてください。
榎本 愛媛の道後温泉のすぐ近くにあるスタジオなんですけど、ツアー中に知り合った鶴さんっていう方のプライベートスタジオなんです。「今度泊まりにきなよ」って言ってくれて、2周目に四国を回ったときに泊まらせてもらったんです。そしたら「録ってみれば」って言ってもらって。
伊藤 一目惚れしたんです、スタジオに。
榎本 使ってみたらすごくよくって「アルバム録ってもいいですか?」って言ったら「いいよ、(huenicaの音楽が)好きだから」って。古くて貴重な名器が沢山あって、録音機材も素晴らしくて、とにかく居心地が良いから、世界中で活動してるアーティストの方もたくさん泊まりに来てるんです。
伊藤 鶴さんは謎が多いままでいたいみたいで、スタジオの所在地も「秘密のスタジオ」って言ったりしてるんですけど(笑)。
道後の「秘密のスタジオ」で
──そこに合宿させてもらってレコーディング?
榎本 そうっすね。2段階に分けて行ったんですけど、10日×2回で合計20日ぐらい向こうにいて、帰ってきてからさらに録って、3月末ぐらいからミックスエンジニアにどんどんデータを送っていって、ミックスにも結局1カ月ぐらいかかって、つい一昨日終わったと思ったらマスタリングでまた何パターンも上げてくれてるっていう。
──こういう出会いは全国を旅して回ったことの成果ですよね。
榎本 1stはいわきで録音したけど、気づいたら反対側へ行ってたっていう(笑)。ライヴでその話をすると「四国から来たんですか」って勘違いされたりします。
伊藤 「いわき出身ですよね」って言われたりもするし。
榎本 なのに「埼玉に住んでる」っていうから、よけいわかんなくなるみたいです。
伊藤 田植えは秋田でやってるから、もうどこに住んでるか覚えられない(笑)。
──確かにちょっとミステリアスかもしれないですね。歌だけ聴いてると半農半音みたいな生活をしてるようにも聞こえるし。
榎本 それもものを作って生きるって意味では全然ありだと思うんです。去年、田植えにも稲刈りにも行ってみて、やっぱり食ってるものを自分で一回でも作ってみないといけないなと。何もわかってなかったんだなって思って。ひとつの穂からどのくらい米がとれるのかも知らなかったし。意外とそういうのが大事だったりするんですよ。
伊藤 うちの実家が農家なんです。わたしはちっちゃいときから手伝いが好きでやってたんですけど、榎本くんは大人になってから初めて田んぼに入ったんです。ザリガニとか見て興奮してて、うらやましかった(笑)。
──『あざやかなとうめい』では作詞作曲のクレジットがおふたり別々でしたけど、今回はすべてhuenicaになっていますね。
伊藤 もう面倒くさいからそうしました(笑)。
榎本 割っていったらここは誰が、とかあるんですけど、それを言ってもだから何なんだろうって思うようになってきて。最初どっちかが持ってきた曲とかも中にはあるんですけど、それでも最終的にどっちが直したのかわかんなくなるぐらいにならないと、録りたくなるくらい気持ちが入らないんです。完全に新しいものになったら残せる、みたいな。友達に訊かれても「別にどっちでもいいんだよね」って言っちゃったりします。
伊藤 こねくり回してるからね。
榎本 さすがに半生一緒にいると、どっちかの言葉でも自分のものになってきてたりするんですよね。その代わり決まるまでは時間がかかってて。語尾が「だ」なのか「だった」なのか「なの」なのか、みたいなことで1週間ぐらい進まなかったりするんですよ(笑)。でも決まっちゃえばまたスムーズにいくんですけど。
伊藤 モメてるうちに別の曲ができたりして、そうなるとそもそもなんでこの曲ができたのか、わかんなくなるんです(笑)。
榎本 ただ今回はたまたま8曲になったって感じですね。1月に録りに入るまでは4曲ぐらいしか絶対入れるっていう曲はなくて、それぐらい迷ってました。最初は、ツアーするときに2300円のアルバムしかないから「5曲ぐらいで1500円で売れるものがあったら初めての人は買いやすいよね」ってことで作り始めたんですけど、スタジオの環境がよかったから、そこで新しい曲ができたりとか。結局、8曲2000円のアルバムになりました。1曲目の「庭先の小鳥」とかそうですね。スタジオの棟の脇にきれいな庭園があって、朝、泊まらせてもらってる棟で起きて、ごはん作ってご主人夫婦とコーヒー飲んだりしてると、庭に鳥が集まってくるんですよ。
伊藤 伊予柑とか果樹がもりもり生えてるんです。
榎本 そこからスタジオまで庭を歩いていくんですけど、なんか「俺、ジョン・レノンなのかな」みたいな。あの白いピアノのスタジオにいるのかなって思って「俺ら、この環境を手に入れたのか?」みたいな気分になって(笑)、これを曲にしようって思ってできました。
伊藤 制作した場所を記録しておきたいなと思ったんです。
榎本 犬の鳴き声も庭で録って入れたものだし、最後に出てくる電車の音も、たまたま録っていた伊予鉄だし。
──ドキュメンタリー性があるんですね。
伊藤 けっこう隠された意味がいっぱいあるんです。果物の羅列も、ツアーしてる中で仲よくしてくれて家に泊めてくれる仲間の家の庭に生えてた果物だしね。
──2曲目はアルバムタイトル曲ですが、「田の人と旅の人」っていうのは何かの隠喩なんですか?
榎本 元は『あざやかなとうめい』を録ったいわきの森の中にmomo cafeっていうすごくいいカフェがあるんですけど、そのお店があるのがいわき市田人(たびと)町っていうとこなんです。その田人町内に旅人(たびうど)っていうエリアもあって、その関係性が面白いなって思ってて、一時は住もうかって言ってたくらい。
伊藤 地名に感動しちゃって(笑)。
榎本 田人に旅人、どっちもものを作って生きるとしたらこれだよな、と思って、ちょうどそのころサチコの実家の田んぼを手伝ったりもしてたんで、結局その二言がここ1年くらいの活動のテーマになったんですよ。
2014年4月、いわき市田人町のmomo cafeで
伊藤 田の人は同じ土をずっと見守っていないと生きられないし、旅の人はずっと移動してないと新鮮に活動を続けられない。で、お互いにちょっと羨ましがってるみたいな。
榎本 どっちも種まきの人じゃないですか。旅芸人も自分で種をまいてかなきゃいけないなって。テーマとしては、みんなそうやって自分で何かを生み出していけるようになればいいのになっていうメッセージでもあるし、なんでみんなそういう生き方しないんだろうっていう提案でもあるという。
──ミュージシャンってどっちなんでしょうね。イメージとしては旅の人っぽいけど。
榎本 でも、逆もあると思うんですよね。自分のスタジオにこもってやってる人も、ポンってアルバムが出たらそれが食い物になるわけだから。結局、僕らは今、両方やってるし、欲を出して田んぼもやってるみたいな。今年も米の収穫が終わったら、新米と新曲を咀嚼するイベントをやりたいなって思ってるんです。新曲をめっちゃやって、新米を振る舞って、オリジナルフードを出して……っていうワンマンをシリーズ化したくて。それがさらに進んだら、物販に自分たちが作った米があってもいいじゃないですか。作ったものは何でも、ひとに渡して評価を得るのがいちばんいいと思うから。
──確かに音楽を作って人に評価されるのもお米を作って評価されるのも同じですね。さっき言ってた「音楽屋さん」ってのはそういうことなんですかね。
伊藤 あと、豊かさを実感してもらえる機会がいっぱいあると幸せじゃないですか。音楽を聴いて風景が浮かぶだけじゃなくて、実際にそこに出てきた食物を食べながら、風を感じながら、家で音楽を聴くとか。そういうことをこの規模だったらやれるかなって。
榎本 だからこれがタイトル曲になったっていうのもあるんですけど。『あざやかなとうめい』を出してグルグル回ってて、自分たちで売って渡して……っていうのをやってたら、土を踏んで生きてる実感が出てきたんですよ。今は土の匂いがテーマだな、と思ってから田んぼに行ってみたら、意外とテンションは同じだったみたいな。田んぼで働くのもクリエイティヴだし。
伊藤 去年の反省を生かして、あそこをもっとこうしたいとか、みんなレコーディングと同じような話をしてるんです。
榎本 結局、音楽人もやってることは一緒だったみたいな。
──「Hello, hello.」の《あの頃》とはいつごろのことですか?
伊藤 これは榎本くんがわりと初期に書いた曲なんです。
榎本 LOST IN TIMEをやってたころの最後のほうの心境みたいな。
伊藤 そう思って聴くとすごくわかりやすい歌詞ですね。
榎本 みんな同じところを見てた時期はうまく進んだけど、バラけ出すと本当にバラバラになっていくから。
伊藤 そして《導かれて もう一度出会えた》で、よかったみたいな。
榎本 海北(大輔)くんとは実際に今も一緒に回ったりするんですけど、お互いに自分のクリエイティヴさを曲げないでやってるから別の形で一緒にできると思うんです。バンドを続けるのもひとつの道、自分のクリエイティヴィティを曲げたくないから脱退するのもひとつの道で、バラけても作ることをやめなければ、また重なるときが来ると。
──けっこう当時のまんまなんですか?
榎本 歌詞とかは全然変わってないです。最初のデモCDに入れてて、しばらくライヴでもやらなかったんですけど、このアルバムの質感にはフィットするなって思って。
伊藤 あと、旅ってキーワードをアルバムにいっぱい入れたいなっていうのもあって。
榎本 自然とまた出てきたって感じではあるんですよね。
──「魔法のノート」もノスタルジックですね。
榎本 これは東京のバンドマンの歌というか。
伊藤 実話みたいなものです(笑)。
榎本 LOST IN TIMEをやめた後に組んでたバンドのヴォーカルがうちに転がり込んできて、3人で暮らしてたんですけど、当時はみんな生活のためにバイトに明け暮れて、バイト終わって帰ってきてから夜中にスタジオに入るみたいなことが多くて。
伊藤 でも今まででいちばん楽しかったんです。
榎本 自分たちで動けるうちはいいけど、音楽をやめたら終わりですよね。すごくよかったのに評価されなかったり、家の事情とかでやめざるを得なかったり、死んじゃった人もいる。でも、アルバム1枚でも残ってたら勝手にそれが広がってったりするじゃないですか。THA BLUE HERBが昔《皿は旅をする》(「孤憤」)って歌ってたじゃないですか。そういうのがなくならなければいいなと思って。これは最終形に至るまでにけっこう変わってるんです。
──huenicaには過去形の歌ってちょっと珍しいかもしれないですね。
伊藤 確かに、前のアルバムでは現実的じゃないところも歌ってましたからね。今回は実体験を消したくなくて残してる曲も多いのかもしれない。
榎本 誰かがモデルになってる曲が多いかもしれないですね。「海の見える家」にはミーワムーラっていういわきのユニットがゲストで入ってくれてるんですけど、コーラスで参加してくれた菅原ミワちゃんは俺らと同い年で、ジャズギターで入ってる村重光敏さんは50代で、ふたりは大工の師弟関係なんです。音楽もグルグルいろんなとこでやってて、いちばん旅を一緒にします。
伊藤 音楽的にも大好きなふたりなんです。
榎本 村重さんは海沿いに住んでたんですけど、東日本大震災で家が被害を受けて家族は沖縄に移住してて、だから沖縄にしょっちゅう行ってるんです。ミワちゃんも海沿いに住んで、ジブリの映画の主人公みたいな暮らしをしてる。それをそのまま歌にしたいなと思って。ギターはミワちゃんちの家であえて録ったりしてるんです。
──《朝が来ると南の島から 送られた野菜に火を通す》ってそのまんまなんですね。
伊藤 遊びに行くと、沖縄の野菜をよく出してくれます。もともと釣りが大好きで、どこへ行っても釣り糸を垂らすみたいな人たちなんだけど、震災後はやっぱり環境が変わったりしてるんだけど、すっごい海を愛してるから。そのことを思いながらそこにいると、波の音がミワちゃんを守ってるように聞こえてくるんです。
榎本 最初に四国を一緒に回ったときにスタジオオーナーの鶴さんと再会して、「新曲を一曲ずつ録ってみなよ」って言ってくれて録ったのがこれです。huenicaは森の曲が多かったから、今回は海の曲を歌おうと。それがきっかけでそのスタジオでのレコーディングになったんですよ。
伊藤 録り直してますけどね。ミーワムーラもあらためてゲストで呼ばせてもらって。
榎本 楽器はスタジオにしかないのをけっこういっぱい使ってます。昭和10年代の足踏みオルガンとか。
アルバム全編でhuenicaをサポートしたドラマーなかじまはじめ
●旅先で見る景色も、出会う人も給料
──さっき話していた、語尾でもめた曲って「いつか星になれるか」ですか?
伊藤 もめました! よくわかりましたね(笑)。国語の授業みたいに、なぜ「なれるか」なのか、説得力をもって説明しないといけなかったんです。
榎本 夜中にクルマで山道を走ってると、山あいにずっと夜景がついてきて、見てると星と一緒になっちゃいそうなときがあるんですよ。現代版『銀河鉄道の夜』みたいな。
伊藤 いつもツアーの帰りは泣きそうになるんです。お世話になった人の顔とか、またいろいろ返さなきゃなとか思ったりしながら星を見てると。
榎本 宮沢賢治の思想って、死んだら星になるみたいなのが多いじゃないですか。このまま死んじゃったらここに行くのかな、みたいなこととか、普通に現実的なことも含めて、言いたいことを縮めていったというか。
伊藤 闘ってる人とかも離れたところにいっぱいいるんですけど、そういう人たちになんで会いに行きたいのかって。
榎本 去年はイチエフの中にも連れてってもらったり、3号機建屋の何十メートル前とかで放射線量が250μSv/hとかになってる、それでも他の構内は除染されてて免震棟あたりで1μSv/hで、廃炉に向けて一歩一歩取り組んでいる、そういうのも見てきたし。辺野古のゲート前で闘ってる人たちも見たし、伊方原発の前にもライヴしに行ったし。
伊藤 最初の2行(《そっか 会いたいから会いに行くんだな ずっと/いつも 夜を登ってるから思想はもう消えてった》)がそれを意味してます。難しいからね、考えると。
榎本 行ってみるとみんながみんな同じ考えではなかったりするし、叫びをぶつけるのがいいとは俺はあんまり思ってないんです。それこそ最初に東北に行ったときも、別に助けようと思ったわけじゃないっていう感覚がまずあって。友達ができたから会いに行っただけで、だからこそまた広がる、っていうことの繰り返しだから。思想をぶつけにどこかに行くのはすごくよくない気がするんです。そこに暮らしてる人がトップだと思ってるから、その人たちにとっていいようになるなら絶対にいいけど。辺野古でも騒いでる人には地元の人は誰もいなかったりするし。そういうメッセージが最初はすごく強かったんだけど、それを内に秘めるようにしていった感じです。
伊藤 でも言いたいことは言えたな、みたいな。
榎本 それこそ宮沢賢治の書き方に近いことができたかなっていう。自分の思いは強いものがあるんだけど、おとぎ話にしてしまうみたいな。
──僕は《友達だから助けたいんだな》っていうのはわかるんですけど、その友達の範囲をどこまでに設定するかが人それぞれ違うのが難しいなっていつも思います。
伊藤 好きな人?
榎本 会えるかどうかってことかも。
──どこかに線引きしないとキリがないじゃないですか。その線引きをめぐる争いがいろんなところで起きている気がするんです。
榎本 ああ、それはわかる。
伊藤 大きな地震があったりすると何かしなきゃって気持ちに押しつぶされそうになるいい人たちがいっぱいいるけど、実際に友達がそうなったときにどう動くか、みたいなことが頭でちゃんとつながれば、その気持ちの大事さはあるなって。例えば家族を助けなきゃいけないとき、すべてを捨てて行けるか行けないかとか、もちろん行けると信じなきゃなとか。
榎本 後づけですけど、アコースティックならではの距離感もあるかなと思いました。例えばこれがガチガチな打ち込みでやってたりしたら、もっと遠い感じだったかもしれない。アコースティック楽器を突き詰めてるよさもそこにあるような気がして。
──親密さみたいな?
榎本 そうすね。ライヴでやってても、アコースティックの距離感って絶対あるから。それが僕らの意見とマッチして聴かれたらいいなって。この楽器だからこれが成立してるんだ、みたいな。実際そうだと思うし。
──「紙とペン」は、電子コミュニケーションの時代にあえて、というのがミソかなと思いました。
伊藤 伝える作業って紙を触ったところから始まっていくのかなと思って。
榎本 これは全部歌詞の通りだよね。混乱してるときに、書くことによって頭が整理されていく。最初は線でもいいんですよ。何か行動すること。作曲にしても、ただ頭をひねってるよりはギターか何か弾いてたほうがすぐできたりすることもあるし。
伊藤 誰かに謝りたくて言葉を探すときとか、すごく苦しいじゃないですか。そういうときにちょっとでも背中を撫でてあげるような曲を作りたくて。コミュニケーションが苦手な人ができるだけ穏やかな気持ちで思ったことを書ければ、自分のことを責めたりする人も減ると思うから、そういう優しい歌にしたいというか。
──これは伊藤さん中心に作った曲なんですか?
伊藤 曲はわたしで、詞はスタジオにいてコーヒーを飲んでるときに榎本くんが「紙とペンみたいな歌詞にしたら?」って言って、その場ですぐ書き上げました。《あたたかな西日浴びて》ってありますけど、ちょうど背中に西日が暑いくらい当たってたんです。
榎本 これも「いつか星になるか」も作りながら録ってったんですよ。結局それも予定調和じゃないということが大事だったんだなと思うんです。そのときにしか生まれ得なかったものが今回はすごく多い。この期間で録れるものを録らなきゃっていうのもあったんですけど、その中で自然と生まれてくるものってあるんだなと。
──最初から録ろうと思ってた曲はどれですか?
榎本 タイトルも含めて最重要なのは「田の人と旅の人」なんですけど、「魔法のノート」「海の見える家」「はもれび」、あと「Hello, hello.」も。
──最初はミニアルバムでその5曲を形にしようみたいな話で始まって、現場で生まれたのが「庭先の小鳥」「いつか星になるか」「紙とペン」の3曲というわけですね。
榎本 それでいいんじゃないって口では言いながら、まったくそうは思わないで突入したんですけど(笑)。頭の中では半分くらいできてて、レコーディングが始まってから一気に出てきたみたいな。そうなってできたときのほうが「あ、こういうことだったんだな」って自分たちがまず思うんですよね。あと「本当に誰も世に出してないだろうな」とか。
伊藤 新しいものを作りたいという欲がチラホラ感じられる3曲です(笑)。
榎本 全体的にすごくいびつなアルバムだと思うんですよ。一曲もベース入ってないですから。前作ではちょこちょこわかんないように入れてたりするんですけど、ライヴをやっていく中で、ピアノにもギターにもいい低音があるから、その二つだけでもっとグルーヴできるはずなのに、ベースを入れると普通になっちゃうんだよな……って思っていたのを、なんとか形にできた。今までそういうアルバムってあんまりないと思うんです。それでちゃんとかっこよくなるっていうのを証明したかった。
──エンジニアの腕の見せどころでもあるでしょうね。
榎本 葛巻さんは天才というか博士って感じだから。
伊藤 あんまり人工的な修正をしないし、したがらないし、音も歌ももっときれいにバランスを整えられるんだけど、それはしないんです。「聞こえない音もあるから人は惹きつけられるんだよ」って。
榎本 「いびつでいいんですよ、人間だから」みたいな。「聴かせにいかないとダメだ」みたいなことを言うんですね。「全部が聞こえちゃダメなんだ。“なに?”って耳をそば立てる感じにならないと心に残らない」って。
──なるほどね。
榎本 だから今の時代の音楽の流れがすごくイヤだって。もともとレコードのリマスターとかたくさんやってる人で、質感っていうのをものすごく重要視してるんです。
──「はもれび」はどういった曲なんですか?
榎本 福島で桃園をやってるパンクシンガーの友達がいるんです。
伊藤 飯坂温泉の近くにあって。
榎本 それこそ毎日放射線量を測って、不検出をアピールして売ってたりするんですけど、そういうのを抜きにしても単純にすっごくいい景色だから、それごと曲にしていろんな街でやるほうが、いろんな意味で伝わるかなと思って。
伊藤 あと、自分の幸せは自分の価値観で選んで生きる、っていうのはhuenicaの活動のテーマでもあるし。それが桃の花の選別作業に近いなと思ったんです。
榎本 けっこう間引くんですよ。
──《君は「少しだけで十分よ」と言った/だから僕は選ぶことを知った》ってところですね。そこから《自分の幸せを選ぶってこと》と軽く飛躍していくわけですが、それは桃の花の選別作業からイメージしたものだったんですね。
伊藤 すごく大変らしいんですよね。いっぱい咲くから。
榎本 間引き方も難しくて、ただ単に切ればいいってものでもないんですって。
伊藤 でも幸せですよね、自分で何か作って「おいしい」って言ってもらえる生き方って。
『田の人と旅の人』告知動画。インタビューはこの直後でした
──旅するミュージシャンならではの楽しいこと、面倒なことって何かありますか?
榎本 自分たちが作品を出してライヴをしに行くって前提だから、そういう意味では楽しさはただの旅行とは全然違うと思うんです。
伊藤 全部取材してるような感じ。
榎本 かつ、自分たちがアウトしたものに返ってくるものがあるから。今はそういう行った先々の景色全般も給料だと思ってますね。
伊藤 ああ、そう思えばいいんだ。
──「景色も給料」。名言が出ましたね。
榎本 それだけで動いてる価値があると思うんです。他の人から見たら「あいつら大丈夫かな? 食えてんのかな?」みたいな感じかもしれないです。どこもソールドアウトするわけじゃないし。でもソールドするようになったとしてもその考えは変わらない。中にはそれがブレてる人もいたりするけど、それじゃ動いてることの価値は何なんだってことになっちゃうから。お金だけ稼ぎたいんだったらよそでやればいいんじゃないって思うし。自分の求めてるものがこの動き方だからこそ手にできてるんです。
──人間が得るものってお金だけじゃないですからね。今の世の中ってなんでもかんでも金勘定に還元した人が偉いみたいな風潮があるけど、そうじゃない生き方の提示ともいえるかもしれません。その中から音楽も生まれるわけですし。
榎本 その景色や出会いが新しい曲になって、そこから自分たちの糧が生まれるから。
──循環してますよね。旅の経験をもとに歌ができて、出会った人たちと一緒に作って、それを聴いてもらうことでごはんを食べる。農業っぽいです。
榎本 十分、衣食住の次にいられるし、もっといたいなって思います。衣食住は最優先だけど、その次に「あ、これも持っとくか」って思われる存在でいたい。
──こういう音なのはそういう理由があるのかってわかった気がしました。『あざやかなとうめい』はちょっと繊細すぎる気もしたので……。
榎本 1stはやっぱり頭の中の世界って感じだから、今度のほうが人に寄ってるかもしれないですね。俺が思ってたよりずっと伝わってなくて、10年かかるのかなって思ったりはするんです。もう何枚か出していったときにやっと戻っていくのかなっていうぐらいに重要な作品で、あれこそ誰もやってないからやったって感じだし。今回はそれがあってのアルバムなんです。サチコを昔から見てくれてるお客さんとかに言われるでんすけど、『あざやかなとうめい』はすごすぎてわかんなかった、でも新曲はめっちゃわかる、って。生まれてちょっと人間になってきたみたいな(笑)。
──1stは1stですごいアルバムだと思いますけど、今回は全然違いますよね、確かに。
榎本 やっぱそんなに違うんですね。
──身近な感じがします。
伊藤 音も近いしね。
榎本 そういうことじゃないでしょ(笑)。ま、でも音作りも含めて必然的にそうなった気がします。最初は年一枚ペースって思ってたけど、細かく回ってるとやっぱりそうはいかなくなってきて、やっぱり2年経っちゃったっていうのが正直なところだし、2周3周してやっと広まっていった街もいっぱいあったんで。でも、そういうのもあっての今のアウトのし方なんだろうから。今は早く次のを録りたいって思ってます。自分たちの企画にこのまま人が増えていったときに、「いや、最初から同じことやってますけど。みんな来なかっただけで」って言えるかどうかみたいな(笑)。
伊藤 なんかえらそう(笑)。
榎本 こっちはずっと店開いてたけど、っていうのがやっぱり大前提な気がする。
伊藤 職人さんとかもそんな感じなんだろうなって思います。自分の手から生まれる作品に向き合って、丁寧に丁寧に作り続けることが大事なんじゃないかって。
──あと研究者とかね。
榎本 でもそういうやり方が本当に伝わったってことなんだろうなって思います。
──1stから2ndへの変化は好ましいし、次はもっと、って思いますよ。
榎本 セルアウトしたみたいな気分じゃなくてそう思えるのってほんとに初めてかもしれないです。自分たちとしては最初もっとややこしいものができちゃったかもしれないなって思ってたから。でも親しみやすい感じになってるんだったらうれしいですね。やっぱりみんなどこかで「寄せて」いってはいると思うけど、そういう頭はないから。単純に話す距離が近くなってきたってことかもしれない。
──寄せていくのはいいと思うんですけど、寄せるためにつらい思いをするのはなんか本末転倒だなって思うので。
榎本 「紙とペン」も、フルートを入れる予定だったんですけどフルートがないから、サチコが縦笛を横向きで吹いたんです(笑)。それでもよかったんだけど、たまたまその直前のライヴで柴田晶子さんっていう口笛世界一の人に会って、「今ちょうど録ってるから来てよ」って言って来てもらって。1stは自分たちの頭の中で確固として鳴ってる音を出していった感じだから、そういうのはやりづらかった。今回は「これ、よくなるんだったらやってもらおう」って思えたし、実際、思った以上に素晴らしくて感動したし。
伊藤 びっくりするタイミングだったんですよ。「口笛でも吹けたらいいのに」って言ってたんですけど、もう無理だって100円ショップでリコーダー買ってきて入れたら、口笛世界一の人に出会って。喜んで来てくれてよかった。
──そういうちょっとした奇跡みたいなことが起こるのも楽しいですよね。
榎本 この取材もそのひとつなんですよ。すごくタイミングがいいっていうか、ありがたいと思ってます。完成した瞬間に話せる機会ってあんまりないじゃないですか。普通はプロモーション期間になってからだから。温度差も出ちゃうし。
伊藤 考えが全然まとまってないから、よけいなこといっぱい言っちゃってるかもしれませんけど……(笑)。
(2016年5月1日)
[PROFILE]
ふえにか……ヤマハ音楽院の同級生だった元LOST IN TIMEの榎本聖貴(ギター、ヴォーカル)と、シンガーソングライターの伊藤サチコ(ピアノ、ヴォーカルほか)が、各々の活動の中で見えてきた理想的な音楽の作り方、伝え方を実践するべく、2012年1月に結成。グループ名は色相、色彩を意味する「hue」という言葉と、2つの楽器が合わさって新たな音色を奏でるピアニカを組み合わせたもので、「色を塗り重ねるように演奏する」こと、「混声で歌うことで同じ言葉が一つの新しい共通の意識に変わる」ことへの気づきを込めたもの。2014年に1stアルバム『あざやかなとうめい』を発表。創作、録音、ツアーという基本的な音楽活動を生活圏で展開するユニークなスタイルを徐々に確立し、人や風景との出会いといった旅先での体験を音楽に還元しながら、2016年7月には新作『田の人と旅の人』をリリースする。
[RELEASE]
huenica / 田の人と旅の人
2016/07/20発売 / Nomadic Records
収録曲:[1] 庭先の小鳥 [2] 田の人と旅の人 [3] Hello, hello. [4] 魔法のノート [5] 海の見える家 [6] いつか星になれるか [7] 紙とペン [8] はもれび
愛媛県道後のプライベートスタジオでのレコーディング中に生まれた3曲([1] [7] [8])や、ノスタルジックな [3] [4]、ツアー暮らしで出会った人々や風景にインスピレーションを得た [5] [6]、それらすべてを包み込んだ、アルバムタイトル曲にふさわしい [2] と、頭の中の世界を描いて幻想的でもあった『あざやかなとうめい』から一転して、現実の中で呼吸し、食事し、働き、旅をするふたりの姿が脳裏に浮かんでくるような8曲が並んだ。前作がふたりのイマジネーションをストレートに表現したものだとすれば、こちらは聴き手のそれに補完されて初めて成立する音楽というか(そう単純ではないけれど、あえて図式化するなら)、人懐っこさを増した印象。ジャケットの絵は前作と同じく荒井良二によるものだが、そのタッチの違いも、ふたりの音楽の変化を象徴している気がする。
[UPCOMING EVENTS]
●大阪公演
日時:5月29日(日)開場19:30 / 開演 20:30
会場:心斎橋 酔夏男
料金:予約 ¥2,500 / 当日 ¥3,000(1ドリンク代別途)
●名古屋公演
日時:5月30日(月)開場19:30 / 開演 20:30
会場:池下 GURU×GURU
料金:予約 ¥2,500 / 当日 ¥3,000(1ドリンク代別途)
●東京公演
日時:2016年6月1日(水)開場19:30 / 開演 20:30
会場:三軒茶屋 GRAPEFRUIT MOON
料金:予約 ¥3,000 / 当日 ¥3,500(1ドリンク代別途)
チケット予約:http://huenica.com/ticket/