伊藤詩織さんはなぜ裁判所に向かう車中で “I Will Survive” を聴いていたのか
最初に断っておきますが答えは知りません。伊藤さんには会ったこともないし、彼女も公に理由を語っていないからです。最近SNS上でこのテーマをめぐって気になることがあり、ツイートもしたのですが、バラバラでわかりにくくなったので備忘録としてまとめておこうと思いました。
僕はジャーナリストの伊藤詩織さんが同じくジャーナリストの山口敬之氏(当時TBSワシントン支局長)から性暴力を受けたと訴えたこの事件に当初から関心を抱いています。ずっと報道に目を通し、伊藤さんの著書『Black Box』はもちろん、山口氏の反論も読んできましたが、今回の主題はそのことではありません。
『Black Box』(文藝春秋)
●今も雪がれない “秘められた恥”
6月8日から10日にかけて、ツイッターに「#わたしは伊藤詩織氏を支持します」というハッシュタグをつけたツイートが多数投稿され、一時は日本のトレンドの1位になった。8日に伊藤さんが行った記者会見に呼応した動きだった。伊藤さんは会見で、事実に基づかない誹謗中傷のSNS投稿により精神的苦痛を受けたとして、漫画家のはすみとしこさんら3人に対して損害賠償や謝罪広告の掲載を求めて民事訴訟を起こしたことを明かしていた。
裁判についてもはすみさんの投稿についてもここでは触れないが、8日深夜、誰かのリツイートで目にした以下のツイート(現在はアカウントごと非公開)に強い違和感を覚えた。【追記:記事公開後に当該ツイートを削除した上で公開アカウントに戻った模様】
(アカウント名は伏せてあります)
レイプ被害を訴えている方が裁判所に向かう姿。
レイプ被害者が裁判所に行くって、それこそセカンドレイプされる怖さで気分が滅入ると思うんですけど、伊藤さんはとてもご機嫌なご様子。私の理解を超えてる映像でした。
《私の理解を超えてる映像》とは何か。このツイートに貼ってあったのは、2018年6月28日に英BBCが放送したドキュメンタリー Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)から抜粋した、2分ちょっとの動画である。その中で伊藤さんはスマホでグロリア・ゲイナーの “I Will Survive” を聴きながら楽しそうに上半身を揺らしていた。
僕は2年前に放送された同番組を昨年末に見たが、終わり近くのこのシーンはとりわけ印象的だった。2017年12月5日、山口敬之氏を相手取って起こした民事訴訟の第1回口頭弁論に向かうタクシーの中。小さな音で “I Will Survive” が流れ、スマホの画面に表示された曲名が映る。(Rerecorded) とあったから再録ヴァージョンだ。
伊藤さんの横顔に「気持ちを上げていかないと。悲しい顔はしたくない。平気な顔でいたいんです。わたしはひとりぼっちじゃない。みんなと一緒にやっているのだから」というモノローグがかぶせられ、「この日、詩織は第1回口頭弁論に出廷する。6か月前の記者会見以来、彼女は裁判所を訪れていなかった」というナレーションの後、サビの “And I'll survive, I will survive, hey, hey” というくだりに笑顔でリップシンクする彼女が映る。ツイートに貼ってあった動画はここから始まる。
「最初の会見を思い出します。記者たちの中に馴染みの顔を見つけて微笑んだらバックラッシュを浴びせられました。『なぜ彼女は笑っているのか?』と。特にメディアは揃って深刻な表情の写真を掲載するんです。あとから新聞を見たらこんな顔ばっかり」としかめっ面を作ってみせる。
東京地方裁判所の前で車を降りた伊藤さんは、黄色く染まった銀杏を見上げて「前回ここに来たときは真緑でした。とても怖かったけど、今日は全然違う気分です。6か月経ったんだなって……」と感慨深そうに話し、たまらず涙をこぼす。記者に「6か月? 何から?」と聞かれ、「わたしがレイプされた女として世間に認知されてから (Since I became this girl who was raped - to the public)」と答える。
Japan's Secret Shame (True Vision / BBC) より
僕は一連のシーンを見たとき泣いてしまった。音楽を愛する者のひとりとして、伊藤さんが “I Will Survive” をどんな気持ちで聴いていたかを想像せずにはいられなかったからだ。
自分の共感体質を差し引いても、彼女のつらい経験(二次被害は今も続いている)とこれから臨む場の性質を考えれば、その心理に思いを致さないほうがおかしい。加害者と対峙すること、被害について再び語ることを求められ、またも世間の好奇の目に晒されるのだ。件のツイートの主はちゃんと見たのだろうか。性被害者はしょげているべき、という見方そのものの不当さを彼女は語っていたのに。僕は黙っていられず、そのツイートを引用しながらこう書いた。
もちろん伊藤さんの内心がうかがい知れないのは僕も同じだが、《私の理解を超えてる》からといって偽りであると決めつけることは誰にもできないはずだ。
伊藤さんが起こした民事訴訟で敗訴し、控訴した山口氏も、2019年12月18日の記者会見で別の性被害者に聞いた話としてこう語っていた。
本当に性被害にあった方は、伊藤さんが本当のことを言っていない、それから、たとえばこういう記者会見の場で笑ったり上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にないと証言してくださったんですね。(中略)そういうことが繰り返されて、BBCやNYタイムズやフランスの24とか、あるいは本を出されると、本当の性被害にあったmetooの方が、ウソつきだと言われると言って出られなくなっているのだとすれば、これは非常に残念なことだなと思います。
この発言に、記事を書いた小川たまかさんは《被害後に被害者がどのような行動をするのかは人それぞれだ。学校や職場に通えなくなることもあれば、「何もなかったと思いたい」という気持ちからそれまで通りの日常を送ろうと努めることもある。被害前後の言動から、誰が本当の被害者で誰がそうではないかを言い立てるのは典型的なセカンドレイプであり、たとえ被害当事者の口からであっても繰り返されてはならないことだ》ときっぱり反論している。
記事中に引用されていた一般社団法人Spring代表・山本潤さんの発言もそれを裏づける。
私自身も被害当事者で長く苦しい思いをしていたときは、前に出る人がすごく輝いて見えたりとか、私にはそういうことはできないと思っていたことがあるので、そういうふうに思う方がいるというのはわかります。
ただ、そういうその人の言葉、気持ちを使って、そうであるから被害者ではないというのは二次加害です。そういうことを使って、伊藤詩織さんの被害者としての信用性を貶めるようなことをするのは、私たちすべての被害当事者に対する侮辱ではないかと思っています。
山本さんの『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)もぜひ読んでみてほしい。つらい本だが、知っておくべきことが書いてある。
●奮起する人々のアンセム “I Will Survive”
僕は1978年10月にリリースされた “I Will Survive” という曲がとても好きだ。70年代後半にアメリカのみならず世界を席巻し、数多くのヒット曲を生んだディスコブームを代表するクラシックのひとつである。
Gloria Gaynor “I Will Survive” MV
自分でウダウダ説明するよりも、TOKYO DEMOCRACY CREWの秀逸なツイートを紹介しておく。
口は悪いが、ほぼ同感である。特に《ハウス〜ガラージの世界では、浮薄なディスコ・ミュージックのチャラいビートや歌詞や歌の中に、人間の魂の存りかを託すんだよ》という指摘。僕はディスコミュージックが大好きなのだが、大人になってから見た『サタデー・ナイト・フィーバー』に衝撃を受けて以来、曲そのものはもちろん(ソウルにラテンの要素が加わると体が反応してしまう)、ビートから、メロディから、歌詞から、歌声から、それを聴き/歌い/踊る人々の情念が伝わってくる気がするのだ。
大好きな『サタデー・ナイト・フィーバー』のオープニング
ディスコの主要ユーザーはワーキングクラスであり、黒人、女性、ヒスパニック、同性愛者といったマイノリティである。“I Will Survive” も例外ではない。差別や貧困や暴力に晒されながら、この曲に力を借りて自らを奮い立たせてきた名もなき人々の声が聞こえてくるかのようだ。
TDCに応答して上記のようにツイートしたが、《モラハラ夫に三行半を叩きつける妻の歌》は少し受け止め方が浅薄だった。女性がかつて愛した(が彼女にアンフェアな仕打ちをした)男に「そのドアから出て行け」と啖呵を切り、「自分から別れを告げてわたしを傷つけようとしたよね。崩れ落ちると思った? 倒れて死ぬと思った? あんたの思い通りになるもんか。わたしは立ち上がる。生き抜いてやる」と宣言するストーリーは、もっといろいろな経験に幅広く当てはめられる。
Songfactsによると、作者のディノ・フェカリス(フレディ・ペレンと共作)は60年代にモータウンのスタッフライターとして働いたが解雇されそうになり、失意の底にいたときテレビでレア・アースが自分の曲を演奏しているのを見て「俺はまだやれる! ソングライターになるんだ! 生き抜いてやる!」と思ったのをきっかけにこの曲を書いたという。
もとはシングル “Substitute”(ライチャス・ブラザーズ→クラウトのカヴァー)のB面。シングルは1978年10月に107位まで上がったのが最高位だったが、クラブDJたちは “I Will Survive” ばかりプレイした。じきラジオでもかかり始め、レコード会社は翌年AB面をひっくり返して再発売。1979年3月にチャートのトップに到達し、ミリオンセラーに。翌1980年のグラミー賞でマイケル・ジャクソンの “Don't Stop 'Til You Get Enough” やアース・ウィンド & ファイア “Boogie Wonderland”、ドナ・サマー “Bad Girls” にロッド・スチュアート “Da Ya Think I'm Sexy?” といった強力なライバルたちを抑えて、最優秀ディスコソング(この年だけ設けられた部門)を受賞した。
7インチ(左)と12インチ
曲が生まれた逸話にもヒットまでの経緯にも、逆境をはね返す物語が埋まっている。40年以上にわたって、苦難を克服しようと自らを奮い立たせる人々に愛唱され、女性、有色人種、LGBTといったマイノリティを鼓舞するアンセムになったが、その種は最初から蒔かれていたといえるかもしれない。
2015年に “I Will Survive” は議会図書館により、半永久的に保存すべき「文化的、歴史的、もしくは芸術的に重要」な録音資料として認定された。資料簿には19世紀末のトマス・エディソンによる初めての録音やマーティン・ルーサー・キング牧師の演説などもあり、この年には他にジョン・コルトレーンの A Love Supreme、インプレッションズの “People Get Ready”、メタリカの Master of Puppets といった歴史的録音が収蔵されている。
伊藤さんはアメリカの大学を卒業し、英語圏のメディアと仕事をしてきた。当然、英語は堪能で、僕の目には日本語を話しているときよりもリラックスしているように見える。そんな彼女が、この歌の意味やどんなシーンで聴かれ歌われてきたかといった文脈を知らないはずがない。単に好きな曲を聴いてノリまくっているのとはわけが違うと解釈するのが自然である。
いや、もし単に好きな曲を聴いてノリまくってご機嫌だっただけだとしても、それは彼女の勝手だ。「アリかナシか」を他人が決めつけることはできない。
伊藤さんはパリで受けたインタヴューで、2017年5月の最初の記者会見に臨む前にも “I Will Survive” を聴いたと明かしている。半年後にどんな気持ちでこの曲を聴いたのかを推し量るヒントになるだろう。
M: 会見するのは怖かった?
S: 会見前に遺書を書きました。何が起こるかわからないし、周囲の人に感謝を伝えたかった。不思議なくらい落ち着いていて、私の進む道はこれしかない、と確信していたのです。
でも、友人の助けがなくてはできませんでした。最初の報道が出てから一人暮らししていた部屋の周辺で不審なことが続き、親友の家に数ヶ月身を隠しました。彼女は私を家に泊めて、記者クラブにも一緒に行ってくれた。タクシーの中でGloria Gaynorの『 I will survive』を2人で歌いながら(笑)。彼女のおかげで前日までの恐怖感も払拭できました冷静でいられたと思います。
(最後のセンテンスがおかしいが原文ママ)
ゲイナー自身は同曲を「生き抜くこと全般についてのシンプルな歌」と語っている。「わたしは人々をエンパワーし勇気づけるこの歌の効果を愛しています。いつの世の関心にも働きかける、時代を超えた歌詞です」
音楽は人の心に作用する。失恋したときはこれ、仕事で失敗したときはこれ、元気になりたいときはこれ……といった定番曲がある人は多いと思う。音楽の主役は作家や演奏者や歌手だけではない。TDCが挙げていたDJカルチャーを参照するまでもなく、聴き手もまた主役なのだ。
かつてディスコは「中身のない、粗製濫造の商業音楽」と音楽批評家に攻撃された。事情は日本でも同じだが、その何が悪いというのだろう。たとえ「中身」がなくたって、聴く人が補う。それが大衆音楽というものだ。僕はそのことをいつも頭に置いて仕事をしている。